■議論の整理
「近代日本における儒教とキリスト教」という主題を念頭に、明六社同人として、西洋学術の先駆的導入を通じて明治初期の思想界をリードした二人の代表的知識人、西周(1829-97)と 中村敬宇 (1832-91)の宗教論を検討し、彼らによる宗教をめぐる問題への取り組みが日本の近代国家形成期に有した政治思想史的意義を考察する。
明治新政府にとってキリスト教問題は、近代国家として最初に直面した、国内政治上の、そして外交上の最重要課題の一つであった。このような明治初年の政治状況のなかで、実際の西洋見聞や書物による西洋文化総体との取り組みを通じて旧来のキリスト教邪教観からいち早く脱し、様々な宗教論を展開 したのが、明六社の知識人達である。
特に、西周と中村敬宇西の宗教論は、ともに「`God’とは何か」、伝統的な儒教の天観念から理解を試みる、明治初年の代表的宗教観とみなされてきた。
しかし、西と中村の宗教論 を検討する上で見逃せないのは、第一に、両者の議論がともに儒教の思想的伝統への応答を含んでいることである。第二に、「天即理」批判を通じて敬天思想を主軸化した宗教論は、西洋文明総体との正面からの出会いを通じて改めて争点化 した幕末明治初期における儒教とキリス ト教をめぐる論争、ひいては 近代日本における 「宗教」概念の成立過程においてきわめて重要な位置を占めている(*1)。
■問題発見
ここで、西周の宗教論が「近代日本における儒教とキリスト教」の思想界に与えた影響について改めて考えてみたい。
■論証
「天即理」批判を通じで超越的「主宰」への信仰を説く西周の宗教論は、合理主義 としての朱子学への哲学的批判を媒介にした、彼の「哲学者」としての活動と内的に連関するものである。その意味で西の宗教論 において、その関心の中心は「知」のあり方にある。こうして西の哲学論は、単に外在的な実証主義受容ではなく、「朱子学=羅 戯奈佃士言莫」批判を媒介に、ヨーロッパ思想史上において合理主義に対抗して実証主義が登場したことの思想的意味について、儒教思想史の内側から捉え直すところに成立する。
そして、そこで重要な役割を果たしたのが、敬天に基づく「天即理」批判である。ヨーロッパ実証主義が時にそのキリスト教批判という点から儒教道徳や朱子学的な理の観念と結びつけて理解されがちな明治初期の思想状況のなかで、オフ.ゾーメルとの出会いの契機を通じて儒教的伝統における「天即理」批判へと辿り直すことで、そこに合理主義対実証主義という思想的対立軸を析出しえたところにこそ、西周の哲学的営為の、そして宗教論の画期性を見出せる。
したがって、西周の宗教論を合理主義対実証主義という思想的対立軸で改めて捉えなおすべきである。 (*1)。
■結論
そこで、西周の宗教論を合理主義対実証主義という思想的対立軸で捉えなおすことで、日本の近代国家形成期に有した政治思想史的意義について研究したいと考えている。
■結論の吟味
上述の研究を遂行するため,貴学法学部政治学科に入学し,東洋政治思想史、日本政治思想史、比較政治思想を専門に研究している大久保健晴教授の研究会に入会することを強く希望する。
※1大久保健晴(2004)「明治初期知識人における宗教論の諸相 一 西周と中村敬宇を中心に」政治思想学会『政治思想研究』No.4 ,p.59-78
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